『いつもの』

平日の昼食は毎週大体同じルーティンで食べる。火曜木曜は中華といつの間にか自分の中で決まっていた。

店員さんも頼む料理も毎回同じ五目ラーメンと青椒肉絲飯。初めは多いなと思っていたけれど、胃袋が慣れてようやく食べ切っても動けなくなるくらいの満腹感は薄くなってきている。

通い続けて2ヶ月。こちらが注文する前に店員さんが「五目ラーメンと青椒肉絲飯?」と聞いてくれるようになったので、こちらは「はい。」とだけ答える関係になった。

こういった場合、常連ぶって澄ました顔で「いつものぉ〜」と言える人がいる。

その言葉を他のお客さんから聞くといつもその人の精神に感服する。

店員さんが「かしこまりました〜。(あ、この人今日、今、このタイミングから今後「いつもの」って言って注文してくるじゃん〜。うわ〜常連って顔してる〜いるわ〜こういう慣れてきたらグイグイくる人〜!)」とか思ってそうで俺はできない。

これは俺が考えすぎなだけかもしれないが、『自分が店員ならこう思っているんだろう』と感じているからだ。

そういった人間がある意味一番身近にいるから、同じようなことを考える人間が0ではないことを理解している。

だからそういった発言や行動をする勇気はない。

ただ、こういった遠慮は私生活全てに繋がっていて、何かに付けて損している気がする。

上司に言われた「世の中ゴネ得よ、遠慮してたら図々しい奴らに全部持ってかれる人生だよ。」という言葉がふと思い出された。

毎回それを思い起こすと同時に『まぁ俺が損するだけで他の人間がなんともないならいいや』と謎のヒーロー気取りをして心を落ち着かせる。

運の一定量なのは決まってると思ってて悪いことがあれば必ず良いこともあるし、逆も然り。

なのでいつか来る良いことを待ってるという考え方もできる………。

 

 

 

そんなこと全部詭弁だ。

結局先で述べたように勇気がないだけなのだ。

多分それは『嫌われる勇気』。

 

ここまで歳を重ねた以上、この性格を変える事はできないと諦めているので別にいい。

周りが損してるなと思っていても別にいい。

それが俺なのだ。しょうもない男のしょうもない人生。それでいい。

誰に迷惑をかけてるわけでもないし……と思っているのは俺だけかもしれないけど。

そんなことを考えていると午前業務の終了の鐘が鳴った。

今日は火曜日。勿論中華だ。

少し寂れた雑居ビルの地下に鎮座する『長江』。そこの入り口に一番近いカウンター。それが自分の中での指定席だ。

 

店内に入り暖簾を潜る。

いつもの店員さんが顔をこちらの顔を見て言った。

「いつものでいい?」

「はい。い、いつもので…。」

店員さんはニッコリと微笑んで俺におしぼりを渡し、厨房へと消えていった。

少なからず見ている人はいる。それが店員さんだろうと、誰だろうと。それだけでいいじゃないか。と報われた気がした。

俺はまだこのお店に通って五目ラーメンと青椒肉絲飯を食べている。

味が美味しいからというだけではない。

本当にそれでいい気がした。

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実体験を基に書いてみたら長くなったけど、短編ってこんなもんかな?とか思うやつ。

青椒肉絲ってなんであんなに美味しいんですか?